昨日12/16観た夢

昨日半覚醒の時に見た夢、親戚の家っぽいキッチンで親戚っぽい子供たちと遊んでて「4人ははむちゃんシスターズね!はむちゃんシスターズ!」って言われてそうだね〜とか答えて遊んでたらその子のお母さんらしき人がキッチン入ってきて、壁と冷蔵庫の隅っこにしゃがんで「しっ!隠れて!」って凄い力で口を押さえられて息出来なくて窒息みたいな状態で起きた

ら、枕元にハムスターが6匹くらいいてめちゃくちゃ怖かったしコンポ(もしかして死語?)の上にジャマイカみたいな格好した黒人の男の子と昔のミスドみたいな白人の男の子が足ぷらぷらさせながら楽しそうにしている幻覚を見た。

いや幻覚とかやばい?と思って調べたらヒプナゴジアというらしく、

ヒプナゴジア(hypnagogia)とは、覚醒状態から睡眠状態への移行(入眠)時における半覚醒状態のことである。この「閾値意識」の段階で起こる可能性のある精神現象として、幻覚、明晰思考、明晰夢、金縛り(睡眠麻痺)などがある。ヒプナゴジアの状態における幻覚を入眠時幻覚(にゅうみんじげんかく、hypnagogic hallucination)という。

気が違ってるわけではないらしいのでホッとした。

幻覚、明晰夢、金縛り、あとは内容は違うけど同じ場所での夢をよく見ます。全部悪夢ってほどではない気がするんだけど 面白いから今度調べよ〜おやすみ

燦々

前回のブログ、たくさんの人に見ていただいて嬉しいのだが迂闊さや浮かれ具合が情けない。しかし人生の事もっと本気で考えてもいいのかも、お金の勉強した方がいいのかも…と感じた事は本心で悔しいのでとりあえず気になっていたお金に関する本を2冊買ってみたのでその感想文から。

アメリカの高校生が学んでいるというこれでもかと言うくらい解り易そうな触れ込みに、おそらくどこの高校生よりお金の事に関して無知な自覚のある自分は恥じる事なく手に取った。就職、貯蓄、予算…など今の生活に直結する話から起業借金年金保険老後…のこれからの未来に必要になるであろう話まで、浅く広く掬いとってくれる内容だった。マジで知識のない私は軽く目を通し、今まで全く知らなかった社会の仕組みというかお金の流れが少し理解出来て入門書としては最適だった。私の小さい文化的な生活はお金で決まるもんではないんやで(友人が「プライスレス主義」と日記を書いていて大変納得した)と出来るだけお金の事を無視して生きてきた訳だが、どうやらこの世は資本主義社会であり小さな生活をするだけでも気が遠くなる程のお金が必要らしい。今まで良く生きてこられたなと思う。お金とか車とか時計とか、そういう資産や年齢で威張る人が下品で嫌いな事が発端だと思い込んでいたけどどうやら元々の貧乏が僻んでいるだけのようだ。日々の積み重なりが人生ってやつらしく、生きるということは死ぬまでどんな人生を歩むか、どう良く在り続けるかって事らしい。

2冊目は好きな漫画家/イラストレーターの香山哲さんが挿絵を描いている事で興味を持っていたこちら。本書でも触れられていたけど、投資というのは一部のお金持ちの人種がやるもので私には縁遠い話よ…と感じていたがこの機会にせっかくだしと思って読んでみたら、どうやらパンクスのヤマザキさんの話は友達みたいにすっと自分に馴染んでくる。なんとなく便利なコンビニばかり利用してなんとなくラク衣料品店ばかり選択させる社会だが、自分が好きなお店でご飯を食べて自分が好きな服屋で服を買う、そういう豊かな生活の先に投資があってもいいんじゃない?というかその生活だって投資ですよ、という内容の話だった。他人任せで成り行きではなく自分で選択する未来は今のクソつまらない社会よりもうすこし面白くなってるんじゃない?みたいなクソの現時点から見える未来に差す希望だった。投資というより消費、ひいては日々の生活について色々考えた。

燦々

燦々

  • カネコアヤノ
  • J-Pop
  • ¥255

カネコアヤノの「燦々」という歌の

しっかりとした気持ちでいたい

自ら選んだ人と友達になって

穏やかじゃなくていい毎日は

屋根の色は自分で決める

という歌詞に強くされる毎日なのだけれどもこれって今現在の六条一間から友達も屋根の色も投資も社会も未来を人生を創造出来るという話だったのか、毎度今に必死でこれからのこと全然何ひとつ考えてられていないと感じていたが今現在の私に付随するひとつひとつは過去の私が意図的に選択した「未来」なんだなと急に感覚が拡張されてしまった。人生って生活の拡張か?丁度2年前、選択とは贅沢な喜びであると考えていたがそんな事はない、ずっと意志を持って何かを選択・決断し続ける事こそが人生なのでありそこに喜びを見出せるかどうかが豊かさなのである。生活って選択の連続か?

「どんな人生がいいか」「どうなりたいか」はいくら考えてもやっぱり朧げで全然明確にならないが、今のところ「その時善く在ろうとする」だけでいいんじゃないかと思う。この世は全部多面的に成り立っていて何かを選択すると何かを一旦切り離す事になるけど、間違ったらまた戻って切り離したものを拾い集めたら良いだけだ。自分の人生の主人公は自分で、コントローラーを握っているのも自分なのだと本当によく忘れてしまう。以前友人に「多分私はとても変わりたくて成長したいんだなと思う」とLINEをし「好きなところは残るといいな」と返答を貰ったのを品川駅の改札前で思い出し、自分の好きなその子が好きな自分で在れたのだった。その時々に自分の正しさに引き戻してくれる友人や文化の有り難さを噛みしめると共に、私も誰かにとってそう在れたらいいなと思う。

ギャルに BBQに誘われて行かなかった話

最近、ギャルの友達が出来たんです。

たまたま出会って、少し話した瞬間「ウチら絶対友達じゃ〜〜〜〜〜〜ん!!!!!!」と意気投合し、すぐ遊ぶ約束をした。ちょうど私が転職に伴う有休消化中だったのと転職後時間に余裕が出来る(ハズ)なので英語かお金のこと勉強したいんだよね〜という話になり、ギャルも最近ZOOMでフィナンシャルセミナーを受けているらしく、「今度ウチで一緒に聞く?」と誘ってもらった。ので二週間後、ギャルのお家にお邪魔した。

受講してみると、実際に知らないことばかりだったので勉強しなければ、変わらなければ…幸せに生きるぞ!みたいな気持ちになり、「私たち、変わりたいって思えたから、成長したいって意欲があるから、このタイミングで出逢えたんだね!」みたいな話をした。今思えば、セミナーの内容は副業!自己投資!人脈!みたいな、うすっぺらい自己啓発本に書いてあるような内容で、実際にFPの参考書に書いてあるような単語や知識は何一つなかったがその時は気にならなかった。ノリも良いし気も合うし高め合える!しかもギャルなので「今度、今日お話してくれた先生も大阪から来るBBQあるから一緒に行こうよ〜!!いろんな人の話聞けるし、絶対楽しいよ!!!!」と誘われ、こちとら負けずにギャルマインド、二つ返事で「行く〜〜!!!!!」と誘いに乗り、最寄りの改札口ではハグをして、エスカレーターで振り返るとギャルは大きく手を振っていた。

BBQの詳細が送られて来ることは無かったが、先に品川で集合し、先生が宿泊しているホテルで会う事が決まっていたのであまり考えていなかった。歩いて向かう途中、「詳細伝えてなくてごめんね〜〜〜!たくさん人が来るし、私も誰が来るか把握してないんだ〜〜〜!でも楽しいと思うよ!」と明るく話していたが、場所を残さないためとか、みんな人連れて来るから把握できないって事だったんだな。。。高級ホテルのラウンジで会い、ギャルは私を「最近変わりたい、勉強したい、いろんな人と会ってお話聞きたいって思ってるらしくて」と、その先生に紹介してくれたが、内心「いろんな人と会って話聞きたいとか、言ったっけなぁ…」と少し違和感を感じていた。

話すだけかと思いきや、何故かキャリアカウンセリングをされ、正直転職するしこのタイミングでいきなり何?と思った。

人生で成し遂げたい事はあるか?やりがいはなんだ?と聞かれ、瞬発力を信じ明日死んでも後悔なく生きている私は答えに詰まった。そうか、私は全然人生のことが考えられていないんだな…将来のビジョンがまったくないな…しっかり考えなければ…と思った。入信。

「今1ヶ月のお休みとボーナスがあったらどうしたい?」「好きなだけ本買って映画見ますね」「本や映画から何が吸収出来るの?そんなことより人脈を作っていろんな人と会って、話を聞いて、こうなりたい!ってロールモデルが見つかれば、おのずとやりたい事が見えて来ると思うよ。20代は、知見を広げる事が大切!いろんなところへ旅して、いろんな経験をしな!」と言われ、かなり不信感が募った。人脈ばかり大切にし、文化を蔑むこの人みたいになりたいか?と考えると全くそんな気は起きず、どれほど自分含め周りの人たちが幸せに生きているか、他人から羨まれる生活をしているかを必死に誇示されたが「私の幸せ決定するのは私なのであって知らん人に誘導される筋合いはないのだが?」と薄っぺらく感じ、この時点でギャルには悪いが結構帰りたくなっていた。

先生と別れ、電車の時間までギャルと2人でカフェに入った。普通に恋人の話や趣味の話をしていた気はするが正直もう全然覚えてない。ギャルが「最近、友達にこの本オススメされたんだ〜!」と一冊の本を出した。「福」がナントカみたいな、知らない出版社の本だったのであらすじを確認させてもらうと、まぁなんか成功がうんたら人生が変わるサクセスストーリー!みたいな本で、「おや…?」と思いスマホで出版社を検索するとサジェストされたものがドンピシャだった。決めた、帰ろう。

駅に向かってから、ごめん私行きたくない、行けない、ギャルを傷付けたい訳じゃないんだけど、やっぱり私は信じられないし、どうしても行きたくない、とギャルに伝える。「したいようにしたら良いけど、行く前ってどうしても不安になっちゃうよね〜でも行ったら楽しいのは保証するし、合わなかったらすぐ帰ってもいいんだよ!いろんな人がいるし、良いかもよ?」ととりあえず私を連れて人に会わそうとする。もうこの時には泣きながら頼むから帰してくれと懇願している状態である。今変わる時なんじゃないか?素直に信じられない私がダメなんじゃ?このまま自分を変えられなくていいのか?一歩踏み出す時なのでは?行ってみたらネタになるのでは?みたいな葛藤もあったが、胃はムカムカするし息もなんだか上手にできない、大きすぎる自分の心からのSOSに素直に従い、本当にごめんねと、一度も振り返らず山手線に乗った。

別に「何か」を押し付けられたとかでもないし、行ってもないので実際のところ「どう」なのかはわからない、持っていた本もたまたまで、本当に幸せな人生を送っていて「そういう」同じようなやり方なだけで全く「その気」はないのかも…とも思うが、行かない選択肢をして正解だったと思う。せっかく意気投合し、高め合っていける、一生友達だと思えた子に出逢えたと感じていたのでかなりショックだったが、私は私が大切にしたいことを信じます。成功したはるのに、ホテルのコーヒー1100円出してくれないンすねえ。

あ〜〜〜私は私が在って良かった!!!!!!!!おつした!!

茄子の揚げ浸し

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お父さんは茄子の揚げ浸しが好きやったんよ。

年明けに急に父が亡くなり、帰省した際に祖母がそう言った。私は26年間知らなかった。母は茄子が嫌いなため食卓に出た記憶は無い。そのおかげで私も一人暮らしを始めるまで食わず嫌いだった。

年明けにも書いた 悲しみの秘義/若松英輔 の中にこんな一節がある。

逝きし者をめぐる孤独は、不在の経験では無い。それは、ふれ得ないことへの嘆きである。悲しいのは、愛するものが存在しないからではなくて、手が届かないところにいるからだ。

だが、遠いところにいるからこそ、その存在を強く感じる。姿が見えないから、一層近くにその人を強く認識することはある。

父に対して愛だとか言うのは照れくさいがこの本がこんなにも早く必要になるとは正直思ってもみなかった。私たちを救ってくれるのは愛と教養である。

年始にラインを送り「あけましておめでとう。声も聞かせてくださいね」という返信が来たのが父からの最後の言葉になった。まさかこれから一生言えなくなるなんて微塵も思っていないのだから仕事だなんだ言い訳をして短い電話の一つもかけなかった自分に後悔した。思春期真っ盛りの高校生の頃に父と別居しているので正直あまりこれといった良い思い出はないのだが、休日の炒飯とか一緒に作ったポストとか夜更かししてテレビを見ていた事を思い出す。何よりここまで育ててくれた事を感謝しているし、野球が好きなのも手先が器用なのも新しい物好きなのもきっと父の影響だ。

こういうのは実際誰にも響かないだろうけど、みんなに後悔のないように生活してほしいなと切に思う。行きたいところに行ったら良いし、好きな人と一緒においしいご飯を食べて、よく眠れますように、と本気で思っている。こんな時勢だし、本当いつになったらどうにかなるのか全くわからないけれど。多少、親に対してはこういうもんかと高を括れていたところはあるが、失ってから後悔するなんて本当に遣る瀬無い気持ちになるんだなと思った。

まるっきし親孝行出来ていないし、心配と迷惑ばかりかけていた。ぜんぜん悲しくても情けないくらい腹は空くし眠くなる、世の中はいつも通りまっすぐ進むけどこれが生きるって事らしい。

2021.1.4

2021年になったけど今年は特別年が明けたという気にもならず、怒涛の年末年始五連勤を終えました。みんなお休みやから仕事量は全然無いけど気持ち的にしんどいので、来年からは元日くらい休み取るべし(あるいは休みのところへ転職すべし。)

 

2020年を振り返ろうと思ってTwitterを年始まで遡って見たけど上半期はほとんどしんどそうだったからあまり後ろばかり見てもなぁと遣る瀬無い気持ちになりしょうもないこと振り返るのはやめます。

 

1か月に2冊ペース、のイメージでふんわり年間24冊読むことを目標としていた読書本数は30冊だった。達成!

 

悲しみの秘義 (文春文庫)

悲しみの秘義 (文春文庫)

 

「スピってんなぁ」と感じてしまう時もあるけどその根拠のない希望や祈りみたいな部分それ自体が救いになることがある。「悲しみを経て見出された希望こそが、他者と分かち合うに足る強度を持っている」優しく抱きしめられた気分になった。一生手元に置いておくでしょう。

数学する身体(新潮文庫)

数学する身体(新潮文庫)

 
数学する人生(新潮文庫)

数学する人生(新潮文庫)

 

万年赤点で本当に数学アレルギーのレベルなんですが何年か前に書店員の友達に「数学する身体」を勧めて貰って購入。少し読んでから積んでしまっていたけど自粛期間中に再挑戦。数学の成り立ちや発展から数学研究者達の探求先の変化、情緒の話になってとても面白かった。理論じゃなくて思考・思想の面で考えられるので楽しく、そのまま岡潔にも興味を持ったので森田さん編集の「数学する人生」を読んだ。情の発する場所、世界/社会における個についてのあり方、など 食わず嫌いの数学も読書体験とすれば面白く実りがあった。

ほかにもキリスト教哲学書、海外文学など今まで興味がなかった分野の本も読むことが出来たけど、やっぱりエッセイとか情緒とかそういう話が大好きみたい。展示に行ったり本を読んだり、もちろん人と話したり、他人の思考に触れる体験は引き続きいちいち感じていきたい。おすすめの本も随時お待ちしております。

ずっとイヤホンがない生活をしていてしたがって音楽もラジオもあまり聴けてなかったがついにワイヤレスイヤホンを注文した。ダイエットのため走りたいな〜と思っていたのだけどずっと「イヤホンないし」を理由に実行出来ていなかったので。これでもうしない理由はないから頑張りたい所存です。自炊・減酒も。初めておせちを詰めたので今日のお弁当はラクだった。

 

さて2021年の抱負は「減量・減酒・減煙」、3つの減を頑張りたいのですが早速「目標は低く持ちなさい」と言われたのでとりあえず健康で。日記書く回数と、写真を撮るようにしたい。ちゃんとカメラを持ち歩こうと思います。私もあなたも健やかでありますように!今年もよろしくお願いします。

20200927雑記

最近また家にいることが多くなって、というか突発的に誰にも会いたくないような気分になったりして休みがあっても家から一歩も出ず過ごしていることが多い。前回のブログで書いたナポリの男たちはサンリオとコラボして怪人になっちゃったし、あとはオモコロチャンネルにはまっている。オモコロチャンネルまじで面白くて、今年のKOC見てても「オモコロ見てる方が面白いな〜」と思っちゃった。オモコロのが多分感覚が近いんだろうなと思う。これは別の話だけど共通言語と解像度の話も書きたい。

えっと家にいてもまぁやる事はないので、久しぶりにNetflixで映画を見たりしていて、今日は「最高に素晴らしいこと」を見た。身近な人の死を乗り越え、希死念慮・自殺に対する描写が本当に細やかで丁寧でWHOも文句は言うまいナ…と思っていた矢先に女優・竹内結子の訃報。死因は自殺とみられている。で、もうそのことでTL埋まっちゃって。もちろん死を悼むことも、そう呟く人たちも悪くないのだけれど(受け取るわたしの問題なので)「○○好きだった」とか「なんで?!」とか、いや君たちほんまにそう思ってるん?と、誰かが亡くなった時だけ友人のように親しみをもって明け透けな嘘をつかれている気持ちになってしまうのがしんどい。気持ち悪いとさえ感じてしまう。直接TLに書きこむことでも誰かに言うほどでもないけど、今のこの居心地の悪さは記しておきたかったので。普通に私やな奴だなと思うね

茶店でのバイトのせいで台所でタバコを吸ったまま水道で火を消す、というルーティーンが染み付いたまま過ごしている。「行儀悪いなァ」と思う反面、「これくらいのことしてもええやろ」と若干の背徳感を持って生活しています。背徳感ってことは多少なりともやっぱり「悪いこと」として認識してるんやな、ということにほくそ笑む。

酔っ払った時に読む文章が大好きで、文体がやや引き摺られつつもなんか書きたいなぁってそのテンションで書き出すのが今。大学の先輩たちの往復書簡がとても良くて、少し恥じらいつつ覗き見しております。

最近何をしているかというと、自粛期間が続く中、あんさんぶるスターズ‼︎にハマり画面をシャンシャン。アニメも見て、アイドルとして頑張る男子高校生(だった人たち)を応援して成長させることに喜びを感じています。守沢千秋が可愛いんよ。私はずっと、近所の先輩みたいな人が好きやな。良い距離感でいつでも楽しそうで真っ直ぐな人。近所の先輩なんか好きになったことないけど。(そもそも近所に家がなかったので)

近所という言葉で思い出したけど、この最近自粛警察とか帰省警察みたいな人がいるじゃないですか、あれで考えたんだけど 私は「周りに海しかなくて最寄りの駅まで車で30分、保育所から中学卒業まで30人1学年、通学時にすれ違う人には全員挨拶するし私がどこの家の子か全員知ってる」くらい、しかも「挨拶返さん人は他所の人やから気をつけや」と言われる雛見沢レベルの田舎で育ったので そういう人たちがいる場所って「近所の人に挨拶はするけど何をしててどういう人かは知らない、近所にイオンしかない」ような田舎なのかなって思って。地元で過ごして東京で生きている今、その 中都市というかベッドタウンのような、そういう生活圏のイメージが全然実証としてないな、と気づきました。だからといって以下略

地元には保育園ではなく保育所しかなかったのでそれが恥ずかしい言葉なんだって知った時はショックだったな。保育所から幼稚園、小学校だったんですけど過疎が進んで私の地元にはもう私の学び舎はひとつもなくなっちゃった。

あとはね、ゲーム実況のナポリの男たちというグループにハマってしまってすっかりニコニコ動画のチャンネル会員とプレミアム会員になってしまい、本当に日々の生きがいになっております。ゲーム実況もだけどチャンネル放送(顔出しはせず、ラジオと各々の企画を週一でまわしている)が本当に面白くて家にいる間はだいたい見ています。全然テレビ見なくなっちゃった。バンドとかスケーターとかもそうだけど、やっぱり男の子たちが自分/自分たちだけの感覚と言語で何かを共有している様子が本当に羨ましく恨めしく、憧れてしまう。前述した通りの田舎で30人中24人男子、高校も工業高校だったので「男子」に対する憧れが半端ない。もちろん私にもそう思える友達はいるけど、これは一生どうしようもないと思うな。

それに自分のストレス回避術がかなり顕著に見えるようになって、それについて考えるのが楽しくていろいろ考察しています。例えばこれはツイッターにも書いたけど「非接触型のアルコール消毒は溶液が切れていた時にかかるストレスが尋常じゃないのでポンプ型のアルコール消毒をプッシュする」ことや、もうひとつは「混んでひとつ飛ばしになってる電車の座席に座りに行くのがストレスなのでひとつ見送って誰もいない電車に乗る」など。「チョコレートを食べる」とか「気分にあった曲を聴く」とかも有効、そういうタイプの幸せを見つけるのが得意です。

まだまだ思うように生活できないけど、私含む好きな人たちが少しでも笑って穏やかに生活出来たら良いなと思っています。眠なったから寝る。