茄子の揚げ浸し

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お父さんは茄子の揚げ浸しが好きやったんよ。

年明けに急に父が亡くなり、帰省した際に祖母がそう言った。私は26年間知らなかった。母は茄子が嫌いなため食卓に出た記憶は無い。そのおかげで私も一人暮らしを始めるまで食わず嫌いだった。

年明けにも書いた 悲しみの秘義/若松英輔 の中にこんな一節がある。

逝きし者をめぐる孤独は、不在の経験では無い。それは、ふれ得ないことへの嘆きである。悲しいのは、愛するものが存在しないからではなくて、手が届かないところにいるからだ。

だが、遠いところにいるからこそ、その存在を強く感じる。姿が見えないから、一層近くにその人を強く認識することはある。

父に対して愛だとか言うのは照れくさいがこの本がこんなにも早く必要になるとは正直思ってもみなかった。私たちを救ってくれるのは愛と教養である。

年始にラインを送り「あけましておめでとう。声も聞かせてくださいね」という返信が来たのが父からの最後の言葉になった。まさかこれから一生言えなくなるなんて微塵も思っていないのだから仕事だなんだ言い訳をして短い電話の一つもかけなかった自分に後悔した。思春期真っ盛りの高校生の頃に父と別居しているので正直あまりこれといった良い思い出はないのだが、休日の炒飯とか一緒に作ったポストとか夜更かししてテレビを見ていた事を思い出す。何よりここまで育ててくれた事を感謝しているし、野球が好きなのも手先が器用なのも新しい物好きなのもきっと父の影響だ。

こういうのは実際誰にも響かないだろうけど、みんなに後悔のないように生活してほしいなと切に思う。行きたいところに行ったら良いし、好きな人と一緒においしいご飯を食べて、よく眠れますように、と本気で思っている。こんな時勢だし、本当いつになったらどうにかなるのか全くわからないけれど。多少、親に対してはこういうもんかと高を括れていたところはあるが、失ってから後悔するなんて本当に遣る瀬無い気持ちになるんだなと思った。

まるっきし親孝行出来ていないし、心配と迷惑ばかりかけていた。ぜんぜん悲しくても情けないくらい腹は空くし眠くなる、世の中はいつも通りまっすぐ進むけどこれが生きるって事らしい。