ラジオじゃないと届かない

 

何がラジオじゃないと届かないのか。なぜラジオじゃないと届かないのか。それを頭の片隅に置いて読み進めると、ラジオの特異性が見えてきた。

 

amzn.asia

 

月曜から伊集院光爆笑問題山里亮太おぎやはぎバナナマンというテレビスターの面々がTBSラジオにて深夜25時-27時に生放送している『JUNK』の総括プロデューサー、宮嵜さん初の書き下ろしエッセイ。対談も極楽とんぼおぎやはぎバナナマン、ハライチ、アルコ&ピース、パンサー向井、ヒコロヒーと大変ボリューミーで大満足の逸品。


宮嵜さんが、バイト/AD/ディレクター/プロデューサーと経歴を踏むなかで出会ったパーソナリティーの言葉やラジオに対する情熱、そして固まりゆく覚悟、みたいなものが感じられてJUNKリスナーとしては胸熱だった。4/1青山ブックセンタートークショーでも言っていたように、「リスナーを裏切りたくない」という気持ちは本書を読めばデカ過ぎるほど伝わってくる。


大学時代にアニメーション制作の課題があり、元々お笑い好きの私はそれがラジオを聴くきっかけとなった。ハライチのターン!岩井トーク集というYouTubeまとめだったのを覚えている。テレビ制作に就職すると通勤時間と夜勤の休憩中に聴くようになり、朝、局内で山里さんとすれ違う度に「ボス、お疲れ様」と心の中で呟いた。今では仕事中8時間、フルでラジオを聴いても足りないようなラジオジャンキーになってしまったのは深夜ラジオのせいである。


深夜ラジオにはその磁場でしか発生しない不思議な魔力がある。

私の中で"何者か解らないがずっといる有識者っぽいクイズの人"、だった伊集院さんの言葉の正しさや丁寧さに感動し、1人で話しているのに真っ直ぐ届くコミュニケーション力に圧倒された。馬鹿力を聴いて、ガンダムを観てガンプラ買ってみたり、球場に野球観に行ったり、レコメンド商品を買ったりと、軽く生活に入り込んで来る。その頃はよく「年上の男出来た?」と聞かれていた。

ポンキッキの記憶も定かで無い今、"怒って暴れる人となだめる人"の印象だった爆笑問題は、太田さんのお茶目さと真摯さ、田中さんのズレに惹きこまれた。太田さんの全力メール読みも毎週楽しみにしている。

それまでも南海キャンディーズおぎやはぎバナナマンは好きだと思っていたが(これも後にオークラさん・工務店さんの仕業だと知る、)JUNKを聴くようになり、最も入り口のイメージとギャップがあってその分特に好きになったのはこの2番組だった。

将棋の駒が"成る"ように、深夜の2時間、そこではパーソナリティーが世間のイメージを飛び出して、自由に暴れまわっていた。

 

読み進めて気付いた事がある。宮嵜さんも私と一緒のこと思ってるじゃん!パーソナリティーも同じ感覚じゃん!という事だ。

メディアやエンターテイメントは、なんとなく、テレビなら番組/視聴者、舞台なら役者/観客、ラジオもパーソナリティー/リスナーの二項対立の関係だと思っていた。でもラジオはそうじゃなかった。

パーソナリティーもスタッフもリスナーも、横並びで一緒の方向を向いている。そう思わせてくれる。だから近くて深く、愛されるメディアなのだ。


毎年「己で勝負せえよ…」と思ってしまうM-1コント漫才撲滅派の私にとって、"素"のメディアであるラジオが魅力的に映るのはかなり道理が通っている。

不完全で流動的なラジオだからこそ、ハマる余白がしっかりあり、そこにパーソナリティー人間性が滲み出る。時には文字通りの素っ裸で、カッコイイところも情けないところも、2時間の生放送にさらけ出している。…その場所を用意しているのは誰か?…っていうハナシで、箱ティッシュ程の厚さも飽きる事なく読み終わった。ラジオから学んだであろう、宮嵜さんの人(ニン)が見えた気がした。