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言葉では言い表せへん感情を描けたらなと、急にそんなふうに思った

もともと映画好きで、何が好きって細かい感情の機微を感じられるところ、私にはなにができる、ほなそういう気持ちを書けたらいいんちゃうか?って 思ったので忘れないように書き留めておく次第です

こんなこと言いつつゾンビとかばかばか人死ぬ映画ばっかり見てる、わかりやすいほうが疲れないのもわかる

あけまして

2018年、仕事をはじめてから通勤時間にラジオを聴くようになった。ほとんど行きも帰りも毎日ラジオ。小学生の頃は自営業の真珠工場、夏休みはだいたいそこで過ごすもんで毎日かかってたCBCラジオはつまらなさの象徴であった。中学生の頃には音楽が好きになりスクールオブロック宇宙初オンエアを楽しみにしていたけど繰り広げられるすっぱいお悩み相談に疎外感を感じて曲が終わるとすぐテレビへ戻っていった。

いまやラジオがあるおかげで通勤出来ているといっても全く過言ではない。恐れていた東京の満員電車は毎日想像を絶する乗車率ではしってゆくけど、誰も私が朝っぱらからアナル連発してる深夜ラジオ聴いてるとは思ってへんやろな。スッカスカの二両編成の近鉄列車に乗って通学してた私よ、東京なんか人が住むとこちゃうとか言っとるババァよ、私は元気やで。

2018年、どんな年だったかなと思うと東京へ移り住んで仕事をはじめて、それまで京都で学生フリーターをしていた私にとってはかなり大きく環境が変わった。でも変わったのは環境だけで遊ぶ友達や自分は全然、これっぽっちも変わってない。

いまだに毎朝ついスクランブル交差点を見下ろしてしまう。朝の渋谷って全然渋谷じゃない。街に見合う人がいてはじめて街として成立するんやな、とかぼんやり考えながらマスクの下はにやけして明日も出勤

 

 2019年ももう半月過ぎたけど、正直に素直にちょっと可愛く生きられますように。今年もよろしう

ゆうれい

言いたいことはいつもたくさんあるのに誰にも伝えられず死んでゆく言葉たち。自分でさえもその所在がわからなくなってしまうのが悲しいからできるだけ日記書きたいんだけどな。

下北沢に降りる夜、いつも秋の訪れを感じてソワソワしてしまうけど 春だって夏だってなんだかソワソワしてた気がする。東京の人はいつも急いでる。

仕事をはじめて色んなことのバランスがわからなくなってしばらく。仕事自体は予想以上に楽しいんだけど、お金と時間の使い方がいつまでたっても上手にならない。掃除したり漫画買い込んだりなんやかや煮込んだりして自分の機嫌をとってるわけだけど結局いつもの友達と会うのが楽しい。会えなくなった友達にたまに連絡したり、また新しい連絡先が増えたり。私は思春期によく見ていた小さい映画のイメージで、二十代の女が東京で一人暮らしをするってことは、長い髪をまとめて華奢な腕を放り出してつまらなさそうにベランダでタバコを吸うってことだと思ってたよ。全然当てはまらなくて笑える。うちにはベランダがない。

MACHIFES.2018

実行委員のひとりであるかたしょと知り合ったのは二年前らしい。確実に私はかたしょと友達になってなかったらマチフェスに行ってなかったけど長すぎるから割愛。

前日、小平に着いた時は当たり前みたいに地元に帰った気持ちになって不思議だった。寝坊して全然手伝えなかったけど(ごめん)

桐生にある 万里 という中華料理屋に連れて行ってもらい、バカほどデカい中華食べて小平の里まで送ってもらう。道中、路肩に車を止めてみんなで外に出たら信じられないくらい星が綺麗で EVISBEATS を聴きながら、もうどこまでも連れてってくれ〜って思った。本気で思った。小平の里に着いてもしばらく星を眺め、高校生の頃から参加してるスタッフが「ロケーションだけはどこのフェスにも絶対負けない!」と言っていて このスタッフが持っている開催地に対する愛は強いなと驚いた。私も三重の田舎出身で小平と同じくらい何もないけど、自分の出身地のことをそう思えるなんて少し羨ましい。

音楽のこと書くとIQ2になっちゃうから書きませんが 野外で見る uri gagarn は想像の5億倍最高でした。 楽しみにしてた betcover!! もマチフェスで初めて見れてよかったな。

マチフェスが終わり、New Action!号に乗せてもらい二度目の万里。なんかお腹いっぱいでたまごスープを頼んだけどこれもラーメン鉢いっぱいに出て来て笑っちゃった お客さんに「東京からこんなに人が来るの?!すごいわねえ」と話しかけてもらったり 万里のお母さんに「貴女は本当に誰とでも分け隔てなく話せて良いわねぇ、また来年も待ってるよ」と言ってもらいすっごい嬉しくなった。

ずっと、なんでマチフェスが好きかって考えてたけど今年わかった気がする。「限られたなかで如何に遊ぶか」っていうのが最上級につまっているからだと思う。子供の頃は校庭や公園だったり、団地や海辺とか 放課後毎日違う場所で探検っつって遊んでたように関西の友達も東京の友達も群馬で会える。正直東京からでもバカ遠いのに、実行委員の開催地や友達や音楽に対する愛が…とか言って、ただ自分たちの場所で遊びたいだけのような気もするけど 笑 お客さんにも伝わってみんな遊びに来るんじゃないかな。私はどうしようもなく愛とか大事に思ってしまう。ずっと音楽と愛に溢れた空間が続きますように、また来年!

出来るもんならやさしいゆめを

タイトルは 書いては消して、積み重なった下書きに書いてあった言葉。そのとき何を思っていたのか全然思い出せないけどいいなと思う。


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ナイトアフターナイトのフライヤーがまた公開された。ツイッターにも書いたけど「夜な夜な」という意味らしく。
叡山電車の線路を歩いたり朝まで鴨川で呑んだりメトロで遊んだ日々の事を思いつつ。下北沢や阿佐ヶ谷のコンビニ前でだらだらどうしようもないこと喋って、何回も乾杯して、みんな適当に集まってぱらぱらと帰宅していく景色、関係。なにかもっと楽しいことが起こるんじゃないかって、いつも少し期待して、夜のまま朝になる。何もなくても良い。何かある夜の方が少ないし。退屈で繰り返されるアンビエントな日々も、それはそれで良い。
 
それでもやっぱり、今までたしかに感じた、まぶしすぎて目眩のするような夜を、いつまでも今だったら良いのにって思う夜を追いかけている。強がりめ。