愛がなんだ

愛がなんだ、公開前から好きな監督の作品だったのでかなりたのしみにしていたのだけど 思ってた以上に喰らってしまい。終わった後の観客の「てか好きの次元違うのヤバくない?」とか話してる声も嫌で、別に苦しい恋愛した覚えもないけどお前らに解ってたまるかよ、と思いながら席を立ってすぐにイヤホンをした。聴いてたステラドネリーで余計堪える。

テルコの気持ちも守の気持ちも葉子も仲原もすみれさんも、わかりすぎて痛かった。誰も悪くない。私は誰でもないけど誰の立場にでもなりうるし ありふれた若者の話 テルコのまっすぐな素直さも故のずるさも、守の無神経さも 自分に正直だからであって 恋愛においては他人の言葉むなしく 自分が想う気持ちしか信じるところがなくて テルコの立場になればテルコが正しいし 守の立場になれば守が正しい。全部全部愛おしくて誰も1ミリも間違ってなくて まったく愛がなんだ、愛がなんなんだって感じだった。

私が相手に対して愛だと思っていることが相手にとっては重りだったり 一生わかり合うこと無いと わかりながらも 諦めず願う微かな希望こそが愛だ、できる事なら一緒に、あなたが幸せな人生を歩めますようにと想うことが愛だと思いましたがどうですか?最後の方なんかもう画面を見ずにこうしてぼんやり考え事をしてしまっていた。いろんな考えが巡る映画はいい映画だ(と、思ってる)。

あなたは何を、誰を想い浮かべましたか。

 

出演者みんな、取り立てて岸井ゆきのさんの表情がとても良くて。あああかん、そんな顔すんな、あかんよ、と何回も思っちゃった。守が選ぶ居酒屋とか、テルコの家のインスタントラーメンのストックとか、仲原の力無い笑顔とか、全部リアルだった。そう思うと葉子だけ嘘みたいだったな、なんか。

いちもじでも間違えば崩れ落ちるパズルみたいなあの関係性の湿気を帯びたリアルさは、今泉監督が描いてくれて良かったな、となんとなく思う。

 

私はテルコみたいに誰かを愛することは出来ないな 純粋なまっすぐさが残酷。恋愛のエゴの部分というか、好きという気持ちの灰汁が出まくっていた。でも恋愛ってそういうもんだったかー、と今は恋愛という事象に対して関与することなくただ通り過ぎるしかなかった。新宿まで歩くあいだ 連絡したい男の子の1人も浮かばなくて悲しい気持ちになる。

失恋してももちろん変わらず夜が朝になってお腹はすいて生活は続く。その当たり前の生活と、永遠にも感じられる甘い時間は共存しないのはなんでなんだろうね。 サッドティー観たくなった。