りぼんのてほどき

こないだは寂しいとかほざいてたけど、花粉よりギリあったかくて嬉しいが勝ってる。目覚めるときふにゃふにゃする。今日は寒いね。

相変わらずカネコアヤノを聴いている、

出来るだけ髪の毛を綺麗に梳かす

誰もわからなくて良い

という歌詞がとても好きで、そんな気持ちでマニキュアを塗ったりしている。カネコアヤノを聴くことは、抱きしめる行為と似ている。かと思うと急に突き放したり走り出したりしていってしまうので、結局素直な女の子は可愛いね。最近は弱さ/素直さ/優しさ/誠実さみたいなことばっかり考えているけれど、まぁ結局答えはわからず悶々としている。

私が手に入れたい「素直さ」は、私の世界では「弱さ」とされていてどうもうまく折り合いがつかない。泥だらけでぐずぐずになって、縺れた足で走って行く人を本当に私はかっこいいと思う。美しいと思う。憧れのすぐ裏には妬みがいて、そういうやつらともちゃんと向き合っていかなければならないのがむずがゆいところ。恥や、これがないと思ってたプライドなのだろうか。妬み僻み、寂しさや切なさはずっと自分について回る影なので、最近は手を取り合って歩いていけたらいいねと思っている。

過ぎ去って行った現象に対して、例えば感情や存在や空間の「在った」という事実だけが救いになっていることがある。その時どんな気持ちで誰と何をしていたのかとか全部覚えていなくても、たしかに私はそのように「在った」ということだけの救い。ああなんて情けなくて脆い柱。私だけが信じられる柱。

去年の冬がどんな風に寒かったのか今じゃ思い出せないみたいに、わからなくなっていくことがたくさんあるなあ。